旧佐呂間駅(旧湧網線)
北海道佐呂間町~交通公園整備に力を入れた場所
掲載日2023年8月
(撮影取材日2019年5月)
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北海道佐呂間町の旧佐呂間駅を取材しています。
佐呂間駅は廃線となった湧網線の駅でした。
湧網線は、湧別町の中湧別駅から網走市の網走駅までをむすぶ全長89.8kmの路線でした。
湧網線が全線開通のは1953年10月で、オホーツク海沿いを走る車窓からの景色が良い路線でしたが、赤字路線整理のため1987年3月に廃線となっています。
佐呂間駅は北側の終着駅である中湧別駅から9駅めになります。中湧別駅はこの湧網線の他に名寄本線も接続していた駅です。
中湧別駅については、下記から掲載ページに移動します。
かつての佐呂間駅は、佐呂間町交通公園として整備されています。
駅の敷地には駅舎をイメージした鉄道資料館のほかに、各所からあつめた鉄道車両、信号機等が展示されています。
上の写真は、佐呂間町交通公園内の展示車両を広場から撮影したところです。
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広間の一角には動輪も展示されています。
この動輪は購入したようで、1987年の取得時の価格は350,000円です。
9600型の動輪軸です。
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こちらは公園内の建物ですが、かつての駅舎をイメージして建てられました。
中は湧網線に関する鉄道資料が置かれている「鉄道記念館」です。
なお、この鉄道記念館の資料を見るには、事前に連絡が必要となっています。
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鉄道記念館の裏側ですが、いわばホーム側になりますが、しっかりと駅を模した造りになっています。
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鉄道記念館のそばに造られている鉄道車両の展示場です。
展示車両は屋根付きのホーム造りに守られ、しっかりと管理された車両が並んでいました。
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展示車両の先頭にある蒸気機関車です。
D51型の565号機です。
塗装をし直され、黒の重厚感があります。
この車両は佐呂間町から遠く離れた函館市に置かれていた蒸気機関車でした。
1989年まで函館市の亀田農協が所有し、函館市内の公園に展示されていました。
ところがその管理が行き届かないことからJR北海道に返還、それを佐呂間町が買い取る形になりました。
売買額は当時で2,350,000円で、函館市からはるばる佐呂間町まで運搬されました。
運搬は1989年8月で、運搬と修復、展示に要した費用は14,935,000円でした。
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蒸気機関車の運転室です。
塗装をし直したとはいえ、周囲の痛みは見られます。
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その運転室の中の様子です。
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こちらは蒸気機関車の後ろに置かれている荷便車です。
郵便の貨物列車ですが、スユニ50517です。
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そして荷便車の後ろに置かれているのは、車掌車です。
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車掌車の横にはディーゼル車も置かれています。
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ディーゼル車の前方から撮影したところです。全長は14mあります。
このディーゼル車はDE10形で、湧網線で貨物車両を牽引していました。
1974年製造で1987年廃車となっています。
これら荷便車と車掌車、このディーゼル車は、JR北海道からの払下げを受けて無償で譲渡された車両です。
旭川市の旭川駅から、夜中と深夜にかけて運搬、佐呂間町まで移送されました。
移送されたのは1989年6月で、蒸気機関車が函館から移送される少し前の出来事です。
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こちらは同じ蒸気機関車ですが、ホーム側とは反対側から撮影したところです。
塗装し直した重々しい動輪の様子があります。
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ボイラー本体側の様子。
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運転室側の様子。
この蒸気機関車D51565は1940年に製造されました。
1976年に廃車となっていますが、その間の走行距離は2,301,880kmで、これは地球を57.5周したことに相当します。
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そして後ろに続く、荷便車と車掌車です。
荷便車スユニ50517の全長は20m、その後ろの車掌車ヨ8000の全長は7.2mです。
公園の一角にある動輪は湧網線廃線年に取得、こちらにある車両はすべて廃線より約2年後に取得して、この交通公園を整備しています。
※車両の移送費用や塗装費用などの当時の価格は、佐呂間町が公開しているホームページ上の数字を参考にしています。
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