旧岡女堂駅(旧ふるさと銀河線)
北海道本別町~甘納豆の老舗に隣接する同名の駅
掲載日2023年9月
(撮影取材日2019年5月)
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北海道本別町の旧岡女堂駅を取材しています。
岡女堂駅は、かつて池田町の池田駅から北見市の北見駅までを結んでいた「ふるさと銀河線」の駅でした。
ふるさと銀河線は、もとは池北線と呼ばれていました。
1911年に北見市まで開通した池北線でしたが、1989年6月3日をもって廃止となりました。
翌日の6月4日からは第三セクターに引き継がれて、ふるさと銀河線として運行されました。
運用していたのは北海道ちほく高原鉄道株式会社でした。
これは北海道で最初の第三セクターの鉄道会社でした。そして140.0kmもの日本で一番長い距離を運行する第三セクターでもありました。
しかしそのふるさと銀河線も17年後、2006年4月21日に廃線となっています。
ふるさと銀河線の距離は140.0kmでしたが、駅の数は33ありました。
岡女堂駅は発着駅であった池田駅から6駅めになります。
上の写真は岡女堂駅のホームの様子です。屋根の造りが特徴的です。
廃線後もホームが残されています。
ホームは国道沿いにあるため、車からも見ることができます。
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線路があったと思われる場所とホーム。
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屋根がユニークな岡女堂駅ですが、そのそばには甘納豆の老舗「豆屋とかち 岡女堂本家」があります。
「岡女堂」は1952年に神戸で法人を設立しますが、その後1991年にここ本別町に甘納豆工場をオープンさせています。
それから1995年に、岡女堂の最寄り駅として、その名のとおりの「岡女堂駅」が開業しました。
岡女堂の創業は1855年で長い歴史を持っています。
また岡女堂のホームページの紹介では、岡女堂で甘納豆が誕生したとされています。
1855年、創業者がぜんざいの鍋を焦がしてしまったことから、甘納豆が発見されたとされています。
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ホームのもう一方の階段から撮影した様子です。
ホーム上からさらに屋根付きの通路が、裏側に通じています。
この屋根付き通路を進んでいくと、岡女堂の店舗に直接行くことができます。
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ホームにある駅名標です。
北見駅方面に次の駅が「本別駅」で、池田駅方面に次の駅は「南本別駅」です。
駅名標の下にはしっかりと「ふるさと銀河線」の名称とマークがあります。
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駅のホームから裏側に通じる屋根付き通路の中に、発車時刻表があります。
北見駅方面に5本、池田駅方面に6本です。
時刻表の下には「ご注意」という張り紙とともに「この時刻表は平成18年4月21日廃線時のものです。」とあります。
また「十勝バスの時刻表ではありません」ともあります。
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ホームからの屋根付き通路を進んで、岡女堂の敷地内に入ってきました。
ここには甘納豆などの豆製品などを製造している工場と店舗があります。
屋根付き通路の前には岡女堂駅と書かれた矢印のある看板もあります。
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あらためて屋根付き通路を、岡女堂店舗側から見たところです。
通路の上には「岡女堂駅」と書かれた駅名標があります。
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その屋根付き通路の様子です。
木製の屋根とそこに古さを感じる通路があります。
駅までの通路とは思えない感じがあります。
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岡女堂店舗側から駅のホームへ向かうことになりますが、屋根付き通路と駅のホームの間には小さな神社があります。
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屋根付き通路の合間にあるちょっとした広場に、神社の鳥居があります。
目の前がかつての駅のホームですが、不思議な感覚の場所です。
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神社の鳥居には「豆神社」が掲げられています。
その奥には小さなやしろがあります。
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豆神社と名づけられた小さなやしろです。
岡女堂駅が開業した1995年ですが、この豆神社は同年に「少名彦名命(すくなひこなのみこと)」を奉りました。
少名彦名命は一寸法師のルーツとされています。
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