仙台藩陣屋跡
北海道白老郡白老町~東蝦夷地守備の要、仙台藩陣屋跡
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撮影取材日 2015年10月
北海道白老郡白老町から、仙台藩陣屋跡です。
仙台藩陣屋跡は、蝦夷地の警備に備えて江戸幕府の命により設置されました。
1854~1855年に和親条約が結ばれますが、北の緊張は続きロシアの南下政策を警戒した江戸幕府は、東北諸藩に蝦夷地の分割警備を命じます。
警備を命じられた仙台藩は、白老から国後、択捉島までを警備の範囲とされます。
その警備の要として1856年、白老町に陣屋を築きました。
仙台藩陣屋は土塁と堀で囲まれた内曲輪(うちくるわ)と外曲輪(そとくるわ)の2重構造です。
上の写真は外曲輪の門の前からです。
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外曲輪の中に入ったところです。
仙台藩は白老から国後、択捉島までの広大な範囲を警備します。
広尾、厚岸、根室、国後島、択捉島に出張陣屋を築き、白老町には大規模な陣屋を築きました。
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当時陣屋には常時100名以上の藩士が詰めていました。
上の写真は四番長屋跡です。
長屋跡はその宿舎跡になります。
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外曲輪の中から見る、内曲輪の門方向です。
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内曲輪の門です。
堀があり橋がかかっています。
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内曲輪の門から見る、堀の跡です。
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内曲輪の門をとおったところです。
奥の白い建物は資料館です。
1867年に江戸幕府が倒れ翌年に戊辰戦争が起こりますが、仙台藩士は仙台に撤退します。
陣屋は12年の歴史に幕を閉じました。
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