開陽丸
北海道檜山郡江差町~実物大に復元された旧幕府軍主力軍艦、開陽丸
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撮影取材日 2015年9月
北海道檜山郡江差町から、開陽丸です。
開陽丸は1866年10月にオランダでつくられ、1867年3月に日本にやってきました。
徳川幕府の旗艦として働きますが、幕府が政権を失うと、旧幕府を支持する人たちが開陽丸を奪い、北海道へ渡ります。
しかし旧幕府軍と新政府軍が戦った箱館戦争の最中に、江差沖で座礁、沈没しました。
沈没したのは1868年11月で、百年以上経った1990年に実物大で復元されました。
上の写真は、かもめ島から眺めた開陽丸です。
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開陽丸のそばから撮影したところです。
1868年に榎本武揚ら旧幕府軍が開陽丸ほか7隻を引き連れて脱走します。
途中、仙台で土方歳三ら旧幕府敗残兵を収容し北海道へ渡ります。
最初に到着したのは内浦湾の鷲ノ木で、そこから箱館に進撃を開始します。
旧幕府軍上陸の地については、下記で紹介しています。
榎本軍鷲ノ木上陸地
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船尾側から見た開陽丸です。
同年、旧幕府軍は箱館の五稜郭に入ります。
その後援護のために開陽丸を江差沖に派遣しますが、暴風雪により座礁してしまいます。
座礁からおよそ10日後に沈没しました。
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船の横側から見た様子です。
開陽丸が1868年に沈没してから、百年以上経過した1975年に引き揚げ作業が始まりました。
このとき収容された遺物は3万2千点以上で、それらは今の開陽丸船内で展示されています。
船内は記念館として、資料の展示や当時の船内の生活を体験することができます。
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甲板にあがってきたところです。
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船の先を見たところです。
開陽丸は最大長72.80m、最大幅13.04mあります。
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さらに船の先のほうへ来たところです。
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船の先と海の様子です。
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船の先のほうから見た、開陽丸の甲板です。
マストは3本で、メインマストの高さは45メートルです。
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こちらは外から見た船の先です。
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