旧上砂川駅
北海道上砂川町~ドラマの舞台にもなった終着駅
掲載日2024年11月
(撮影取材日2019年10月)
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北海道上砂川町の旧上砂川駅を取材しています。
上砂川駅は、函館本線の砂川駅から支線として上砂川駅までの7.3キロメートルをつないでいた「上砂川支線」の駅でした。
当初は石炭を輸送する専用路線として開業しましたが、その後1926年に国有化し旅客営業を始めています。
総距離は7.3キロメートルしかありませんが、接続駅の砂川駅から下鶉駅、鶉駅、東鶉駅、上砂川駅の5つの駅がありました。
上砂川駅はこの上砂川支線の終着駅になります。
そのため上砂川駅周辺には石炭に関連する施設が隣接し、かつては賑わいをみせていました。
そんな上砂川支線も、炭鉱の閉山後、1994年に廃線となりました。
すぐそばには総距離14.5キロメートルの歌志内線もとおっていましたが、歌志内線は1988年に廃線になっています。
歌志内線よりも6年も長く廃線対象からはずされていたのは、函館本線の一部とみなされていたからです。
また上砂川駅は2つの駅名を持っていることでも知られています。
それは1984年に放送された倉本聰脚本・演出のドラマ「昨日、悲別で」の主要ロケ地となったからです。
ドラマは上砂川町を主要舞台として、架空の街「悲別」として撮影、その駅も「悲別駅」として撮影されました。
上砂川支線の廃線にともない、函館本線で営業中の砂川駅をのぞき、下鶉駅、鶉駅、東鶉駅、そして上砂川駅の4つの駅は廃止されました。
上の写真は、砂川駅から2つめの駅である鶉駅のかつての駅舎の様子です。
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かつての駅舎、鶉駅舎に近づいたところです。
廃線となった上砂川線で駅舎らしいものが残っているのは、鶉駅舎と上砂川駅舎の2つだけです。
上砂川駅は観光地として保存されていますが、この鶉駅は廃線後に飲食店が入り営業がされていました。
取材時においては飲食店も閉店されていたようで、かつての駅の入口にはシートがかけられていました。
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駅舎の壁は改修されて、飲食店が営業されていたようです。
その壁に駅名の入った板がありました。
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鶉駅からさらに2つめ、接続駅の砂川駅から4つめにある終着駅、上砂川駅に到着しました。
その駅舎の正面全景です。
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観光地化されていますので、駅舎きれいに保存されています。
またこの駅舎は本来置かれていた場所から移設されています。
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駅舎の出入口付近に近づいたところです。
「上砂川駅」の看板の他にもう1つの名称「悲別駅」の看板もあります。
架空の駅名のほうが大きいですね。
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駅舎の出入口横に掲げられている案内板です。
「悲別駅 昨日、悲別で ロケーション駅」書かれています。
作成は上砂川商工会議所青年部とありますが、だいぶ年月が経過しているような案内板です。
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駅舎の中に入ってきたところです。
駅舎の中もきれいにされています。
駅舎内は当時の面影を残しながら、ドラマに関係するもの、鉄道資料に関係するものが一緒に置かれています。
写真の先は有人駅時代を感じさせる発券所があったところです。
その前には時刻表や料金表があります。
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発券所に近づいたところです。
窓口が2つありますが、左側は旧国鉄時代の発券所です。
その前には時刻表がありますが、これは鶉駅の時刻表ですね。
そして大きな「鶉駅」の駅名看板がかけられています。
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少しだけホーム側の出入口付近に画を移したところです。
「悲別駅」、「ロケーションの地」をおす力を感じます。
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発券所側から見る駅舎内の様子です。
左側のドアがホーム側のドアです。
駅舎内の向こう側にもドラマに関係するものがありました。
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花火大会のポスターがありますが、カラオケ大会の写真も貼られていました。
「川野夏美 カラオケ交流会」とありますね。
川野夏美は「悲別~かなしべつ~」のタイトルで楽曲を出しています。
架空の街と駅をモチーフにした作品のようです。
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駅舎の事務室内をガラス越しに撮影したところです。
駅の機器が置いてありますが、物置ぽくなっています。
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こちらも事務室内の様子です。
パイプ椅子がたくさん置いてありました。
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駅舎の外に出てきたところです。
ホーム側の駅舎の様子になります。
ホームを模したところに階段であがりますがそこには客車も置かれています。
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ホーム側の駅舎から見る、客車と駅名標です。
こちら側から見る駅名標は「かなしべつ」となっています。
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こちらはホームから見た駅舎の様子です。
かつての改札がありますが、そのほかには特にありません。
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ホームから見る駅名標は「かみすながわ」です。
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ホームに置かれている客車です。
だいぶ痛んでいるような感じです。
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ホームに置かれている客車とレール。
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客車の横には車掌車も向きを変えて置かれていました。
かつての上砂川駅は炭鉱そばにありました。
それは三井砂川炭鉱で、駅構内にはいくつもの側線がありました。
その炭鉱も1987年に閉山となりました。
今ではその名残として三井砂川炭鉱中央立坑櫓が残っています。
そして炭鉱の閉山後、1994年に上砂川支線は廃線となりました。
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